『信仰の試練』
「わたしが話しかけたいのは全能者なのだ。
わたしは神に向かって申し立てたい。」
(ヨブ13:3)
信仰の試練は自分一人で孤独に立ち向かうものではありません。
試練においてこそ、「神と共に」です。
信仰によって神と共に生きているから、試されます。
信仰によって生きることをやめたなら、試練は終わります。
ヨブの妻は、それを勧めます。
「どこまでも無垢でいるのですか。神を呪って、死ぬ方がましでしょう」
(ヨブ2:9)
信仰の試練から脱け出す道は、神の中にあります。
人の知恵が用いられることはあるでしょう。
しかし、神を信じる喜びと平安の中で立ち上がり、
希望に満ちあふれて歩み出すまで、試練は続きます。
ヨブは、友人たちの言葉には納得しません。
「あなたたちは皆、偽りの薬を塗る役に立たない医者だ。
どうか黙ってくれ、黙ることがあなたたちの知恵を示す。」
(13:4~5)
確かに、ヨブは起きたことや、自らに負わされたものに苦しみ悩んでいます。
しかし、その解決を求めて苦しむ以上に、神を求めて苦しみます。
そして、あくまで忍耐して祈り続けます。
「わたしが話しかけたいのは全能者なのだ。
わたしは神に向かって申し立てたい。」
このような信仰が、キリストをますます明瞭に知り、喜ばないことはありえません。
「知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています。」
(コロサイ2:3)
「あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです」。
(コロサイ3:3)