『天に富を積む』
「富は、天に積みなさい。
そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、
また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。
あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」
(マタイ6:20~21)
地上に積んだ富を眺めて安心するのは、わかりやすい話です。
あり余るほどの穀物や財産を倉に収めた金持ちは、それを見ながら言いました。
「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。」
しかし、この金持ちの安心に向かって、神が立ちふさがります。
「愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。
お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか。」
(ルカ12:19~20)
神の御言葉を、その金持ちがどのように受け止めたかはわかりません。
しかしいずれにせよ、彼が富を積んだ場所が天ではなかったことは確かです。
天に富を積むとき、その富を積んだ人の心もそこにあります。
天とはどこでしょうか。神を知るほどに、
またキリストを正しく知るほどに、そこがどこなのかを知るでしょう。
神の御言葉が指し示すものを見るように導かれるからです。
確かに財産と穀物を収めた倉を眺めて得られる安心があります。
しかし、信仰によって神を求めて得られる安心があります。
その信仰は試され続けますが、それによってますます神を知ります。
それがその人々の富です。
いろいろなことで試されながらも、神を仰いで祈り、
安心したり、希望を新たにする人々の富は、
確かなところに積まれていきます。
「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」