『イエス・キリストを知り、神を知る』
「いまだかつて、神を見た者はいない。
父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」
(ヨハネの福音書1−18)
神はいない。よく考えてみると、こう断言するのは恐ろしいことです。
結局、人間がすべてである。あるいは成り行きがすべてである。
それでは、息が詰まります。どんな人でも、祈りをささげたい時があるのではないでしょうか。
人間の弱さ、愚かさ、自分の限界に少しでも向き合わされるとき、
実際に祈らないまでも、少しなりとも祈りたいとの思いは湧き起こるのではないでしょうか。
しかし、見ることもできない神に、どのような確かさをもって祈り求めることができるでしょうか。
いないとは言えないが、いるかもしれない神では、
確かな思いをもって祈り続けることも、何かをお任せすることもできません。
このような複雑な仕方で、神に向き合うのは、ある意味で仕方のないことです。
「いまだかつて、神を見た者はいない。」
しかし、どのようなときも神を見ながら、この世を歩み抜かれた御方がイエスです。
どのようなときも、神を父と呼んで、その愛を疑うことなく祈っておられました。
その祈りが、イエスの心から絶えることはありませんでした。
確かにこの御方は、私たちと同じ人間です。
しかし、お生まれになった時から、その十字架の死に至るまで、
神のふところに身を置きながら、この世を歩み抜かれた唯一の人の子であり、神の独り子です。
祈りをささげるべき神に、少しでも心が向くとき、
この御方をさらに知っていただきたいと思います。
「いまだかつて、神を見た者はいない。
父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」
「知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています。」
(コロサイの信徒への手紙2章3節)