『価を払うことなく求める』
「価を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ。」
(イザヤ55:1)
神の恵みを受けるために、人が価を払うことはできません。
ただ神のもとに近づいて、求め続けるのみです。
神の知恵はこう教えます。
「求めなさい。そうすれば、与えられる。」
(マタイ7:7)
あくまでも忍耐して
「いささかも疑わず、信仰をもって願いなさい。」
(ヤコブ1:6)
ある意味で、あくまでも祈り求め続けるよりも、
代価を払って手に入れる方がわかりやすく、簡単です。
しかし、神の御言葉は明瞭です。
「価を払うことなく・・・得よ。」
祈り求め続けること自体がたいへんな努力であり、
犠牲ではないかと考えたくなることもあるかもしれません。
そして、それこそ神に差し出すべき代価のように祈ることもあるかもしれません。
しかし、主の御言葉に聞き続けるとき、そのような思いや考えも修正されていきます。
「くどくどと自分の願いを繰り返す祈り」は捨てさせられ、
人に自慢できるような「祈り」への誇りは挫かれます。
(マタイ6:7、ルカ18:12)
「価を払うことなく」求める人々は、神の憐れみにすがって祈り求めます。
神の御言葉と御業に心を注ぎつつ祈り求めます。
価を払うのには人の知恵と力が必要ですが、
価を払わずに求め続けるには神の知恵と力が必要です。
「価を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ。」
(イザヤ55:1)