『日々の祈りの場所』
「あなたが祈るときは、
奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、
隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。
そうすれば、
隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」
(マタイ6:6)
神はまず隠れたところで、私たちの祈りを聞こうとされます。
そこでは、真実だけが大切です。
神に向かって、自分の心を開く場所です。
誰かの目や耳を意識することなく、ただ神に向かって祈ることのできる場所です。
ある意味で、それは張り合いのない場所です。
会堂や街角で熱心に祈っていた人も、早々に祈りをやめたくなるにちがいありません。
(マタイ6:5)
しかし、キリストの御言葉にとどまる人々は、そのような場所を必要としています。
その時々の必要に応じて、
知るべきほどのことを知りながら、
神を父と呼んで祈ることを学んでいきます。
報いは、隠れたことを見ておられる神から与えられます。
おそらく、まず受け取るのは隠れた報いです。
人に自慢できたり、羨ましがられたりするようなものではありません。
自分の心のあるところに、その報いもあるようなものを受け取るにちがいありません。
そのような報いを求めて、昼も夜も祈った使徒パウロは、こう祈りました。
「こういうわけで、わたしは御父の前にひざまずいて祈ります。
・・・どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、
その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、
信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、
あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。
また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、
キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、
人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、
そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、
それによって満たされるように。」
(エフェソ3:14~19)
また、彼自身がその報いを豊かに受けて、いつも喜んでいました。
「わたしは喜びます。
あなたがた一同と共に喜びます。」
(フィリピ2:17)