『死と希望』
「塵にすぎないお前は塵に返る。」
(創世記3:19)
最初の人は、確かに土の塵から造られました。
「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、
その鼻に命の息を吹き入れられた。」
(2:7)
人は希望に満ちあふれていました。
「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。」
(1:28)
死は、彼らが神に従う限り、そこにはありませんでした。
その時、彼らの運命を決定づけていた御言葉は、これです。
「人はこうして生きる者となった。」
(2:17)
何があろうとも、彼らは生きる者でした。
しかし、蛇の誘惑に身を任せて、神の御言葉から迷い出たとき、神の口から死が宣言されました。
「塵にすぎないお前は塵に返る。」
実際、それ以降、人はこの事実を確認し続けてきました。
「死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。」
(イザヤ9:1)
キリストは言われました。
「わたしは命のパンである。・・・このパンを食べる者は永遠に生きる。」
(ヨハネ6:48、58)
「塵に返る」という死の現実が、神の祝福の中に移されました。
キリストを信じて力を得ながら生きるなら、
すべての希望を呑み込んでしまうような死は、
そこには存在しません。神は新たにこう宣言されます。
「今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである。」
「然り。彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。
その行いが報われるからである。」
(黙示録14:13)