『神が置かれた敵意』
「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意を置く。」
(創世記3:15)
最初の人アダムとエバを誘惑した蛇の誘惑が、完全に成就することはありませんでした。
言い換えれば、蛇が完全に人間を自分のものとすることはできなかったのです。
神が人間を見捨てることなく、蛇と人間の間に敵意を置かれたからです。
アダムとエバにとって、この敵意こそ希望であり、救いでした。
もし、神がこの敵意を置いてくださらなかったなら、
蛇の第二、第三の誘惑によって、
彼らはすっかり神から引き離されてしまったことでしょう。
確かに蛇の誘惑は、その後も続きました。
「年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者」は、
人間の弱みをよく知っています。
(黙示録12:9)
しかし、その誘惑がいかに巧妙で悪賢く、成就したように見えても、
人間と蛇の間には動かすことのできない敵意が置かれています。
「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意を置く。」
その敵意をもって蛇に勝利された御方こそ、イエス・キリストです。
どんな誘惑も、キリストには通用しませんでした。
主を畏れ敬う霊に満たされた御方の中には、
蛇のいかなる誘惑にも一歩も譲ることのない敵意が満ちておられました。
(イザヤ11:3)
「世のすべての国々とその繁栄」を与えられても、動かすことのできない敵意です。
「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」
(マタイ4:10)
蛇の誘惑に身を任せたアダムとエバにとって、
この「敵意」こそ、彼らの希望と救いを指し示していました。
そして、その希望と救いは、イエス・キリストにおいて成就されました。
「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意を置く。」