『どのようにして、心打ち砕かれたのか』

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『どのようにして、心打ち砕かれたのか』


『どのようにして、心打ち砕かれたのか』

「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。
死に定められたこの体から、  
 だれがわたしを救ってくれるでしょうか。」
(ローマ7:24)


 使徒パウロの叫びです。ここには心打ち砕かれた人がいます。

では、いったいどのようにして、彼の心がここまで打ち砕かれたのでしょうか。

多くの苦しみが、彼の心を打ち砕いたのでしょうか。

確かに彼の歩みには多くの苦しみが約束され、そのとおりに実現しました。
(使徒9:15~16) 

しかし、彼はその苦しみの数々によく耐えました。


 彼の心を打ち砕いたのは、イエス・キリストです。

しかも、静かに優しく語りかける主イエスです。


「サウル、サウル、
なぜ、わたしを迫害するのか・・・
わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」
(使徒9:4~5)

使徒パウロは、その後もその声を聞こうと求め、聞き続けました。

彼の内に働きたもう聖霊は、
主の言葉を、
彼の歩みに応じてことごとく思い起こさせてくださったでしょう。


「文字に従う古い生き方ではなく、
“霊”に従う新しい生き方で仕えるようになっているのです。」
(ローマ7:6)


 自分の心がキリストの言葉を受け入れ、
キリストを受け入れることと共に、
その心は打ち砕かれ続けました。


 最初に出会ったときと同じく、キリストは静かに優しく語り続けます。

パウロに語りかけるキリストの声を聞くのは、彼の心です。

打ち砕かれた心は、ひたすらに神の救いを求めて祈ります。


「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。
死に定められたこの体から、
だれがわたしを救ってくれるでしょうか。」

そして、喜びます。


「わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。」