『唯一の完全な土台』
「イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、
だれもほかの土台を据えることはできません。」
(第一コリント3:11)
イエス・キリストが土台です。
神と共にある一人一人にとっても、神と共にある教会にとっても、それ以外の土台はありません。
その土台は、既に据えられています。
それを忘れず、見失わず、そこから迷わないようにするのみです。
ペトロが、キリストに向かって「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えたとき、
その土台に身を寄せようとしていました。
(マタイ16:16)
しかし、
「主よ、とんでもないことです。
そんなことがあってはなりません」
と言い出したとき、土台は見失われていました。
(マタイ16:22)
キリストが建てたもう教会は、神にすべてを期待し、求めて、受けることができます。
何の根拠があって、そのような大胆な期待や信頼をもって神を求める続けることができるのでしょうか。
その土台は、イエス・キリストです。
しかも、十字架につけられたキリストです。
そして、三日目に復活して、今、父なる神の右におられるキリストです。
ただこの御方のみに望みをかけて祈る人々には、こう約束されています。
「見よ、わたしは、選ばれた尊いかなめ石を、シオンに置く。
これを信じる者は、決して失望することはない。」
(第一ペトロ2:6)
約束されたことを信じ続けるのは、確かに試練であり、忍耐が必要です。
しかし、土台となっておられる御方は真実です。
その土台にすがって祈る人々には、試練はあっても、失望はありません。
「イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、
だれもほかの土台を据えることはできません。」