『心の向かうところ』
「わたしの心は主に依り頼みます。
主の助けを得てわたしの心は喜び躍ります。」
(詩編28:7)
生きることは、いろいろと苦労なことであり、悩ましいことです。
その日、その日に、十分な労苦があります。
このことが片付いたと思えば、違うことが生じてきます。
そのような中で、神を知るとは、いつでも心が向かうべき御方を知ることでもあります。
その心の動きは、幼い子供に似ています。
幼い子供は、何があっても親のもとへと向かいます。
悲しくても、恐ろしくても、泣いても、笑っても、
親のもとへと向かっては、
親から励まされたり、助けられたり、叱られたり・・・。
ここに神を知る心の模範があります。
自分たちの信仰を競い合っていた弟子たちに、
イエス様は
「心を入れ替えて子供のようにならなければ、
決して天の国に入ることはできない」
と言われました。
(マタイ18:3)
聖書が教える信仰とは、修行の果てにあるようなものではありません。
幼子のような姿の中にあります。
何があろうと、神へと向かう心こそ、あるべき信仰の姿です。
そのように心が向かうべき御方として、神を知るために、聖書があります。
親のもとへと泣いて飛び込んだ子供も、
いつのまにか元気になって、
笑い始めます。
いろいろなことがある毎日の中で、
聖霊の恵みに謙虚に信頼して、
子供のように近づいていくことのできる神がおられることを知る日々を重ねて参りましょう。
「わたしの心は主に依り頼みます。
主の助けを得てわたしの心は喜び躍ります。」