『神の同情』
「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、・・・」
(ヘブライ4:15)
一人でもほんとうに同情してくれる人がいたら、孤独は癒されます。
しかし、ほんものの同情は、「畑の中に隠された宝」のようです。
(マタイ13:45)
聖書は、人の同情が、どれほどに限りあるものであるかを明らかにします。
あの義人ヨブの友人たちも、
自分たちの同情の限界に立たされたとき、
自分たちより正しい人ヨブを責め立て始めました。
「あえてひとこと言ってみよう。
あなたを疲れさせるだろうが、誰がものを言わずにいられようか。」
(ヨブ4:2)
自分たちの理解をはるかに超えたヨブの苦難を前にして、
どのように向き合えばよいのかわからなくなったのでしょう。
彼らの同情すら、ヨブにとっては残酷でした。
ヨブは友人たちに向かって叫びます。
「どうか黙ってくれ、黙ることがあなたたちの知恵を示す。」
(ヨブ13:5)
ほんものの同情は、神のもとにあります。
そして、今やキリストにおいて、人々のすぐそばにあります。
神を正しく畏れる人々は、その同情にすがって生きてきました。
キリストは、わたしたちの弱さに同情できる御方です。
キリストは全知全能の神だから、そのような同情ができる御方だというわけではありません。
「あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われた」
御方だから、同情できるのです。
(ヘブライ4:15)
人の同情には絶対的な限界があります。
他人の弱さも、自分の弱さも、完全には受け止めることができません。
しかし、キリストは完全に受け止めてくださいます。
人を完全に救うことのできる同情です。
「事実、(キリスト)御自身が、試練を受けて苦しまれたからこそ、
試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。」
(ヘブライ2:18)