『大きな御心の中で』
「主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう」
(ヤコブ4:15)
「主の御心であれば、生き永らえて・・・」と考えるのは、
自分の命や人生がいかに頼りないものであるかを知れば、こそです。
自分の思いや考えに従って何とか進んでいるとき、
「主の御心であれば、生き永らえて」などとは思いもしないでしょう。
しかし、それは誇り高ぶった考えではないかと、問いかけます。
「あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです。
あなたがたは、わずかの間現れて、やがて消えて行く霧にすぎません。」
(4:14)
自分の命や人生に、何の意味も価値もないと言っているのではありません。
それは、自分の思いや考えをはるかに超えたものではないかと言っているのです。
どんなに自分の思いどおりに生きることができても、
人の知恵や力ではどうにもならない、はかなさ、頼りなさが、
人の命と人生の実際の姿ではないでしょうか。
反対に、どんなに思い通りにならず、途方に暮れるようなことがあっても、
主の御心があります。
まだ、終りではありません。
なすべき「あのことやこのこと」があります。
自分の頼りなさを知らされて、主の大きな御心に向き合った人は 、
新たな力を得て、こう言います。
「主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう」