『重荷を主にゆだねよ』
「あなたの重荷を主にゆだねよ、主はあなたを支えてくださる。」
(詩編55:23)
「ゆだねよ」と求められて、すぐにゆだねて楽になれたなら、どれほど良いことでしょうか。
しかし、荷物を預けるように、簡単に自分の重荷をゆだねることもできません。
自分の心と、その重荷がかたく結ばれているからです。
まさしく、「自分の重荷」です。
自分でも耐えられない重荷ですが、
「ゆだねよ」と言われても、まずは途方に暮れる自分がいます。
ゆだねるからには、ゆだねるだけの信仰の成長が必要なのでしょうか。
成長するように努めて、成長を待たなければ、
主に重荷をゆだねて平安の中に生きるときは来ないのでしょうか。
そうではありません。
この御言葉を聞いた今、このときに「主にゆだねよ。」
ゆだねるために、祈ります。
あのこと、このことと、具体的に祈ります。
一度の祈り、一日の祈りで、すべてをゆだねることもできずに祈り続けます。
また、祈り続けるために、主の御心を尋ね求めて、
あのこと、このことを行いながら従って行きます。
主は、そのような祈りを守り導き、そのような今日の歩みを支えてくださいます。
確かにすべてが解決したかのように楽になることはないかもしれません。
しかし、「主はあなたを支えてくださる。」
日ごとに、主が、
私たちをそのような支えの豊かさを知る者としてくださいますように。
主はすぐ近くにおられます。
「あなたの重荷を主にゆだねよ、主はあなたを支えてくださる。」