『何も欠けることがない』
「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。」
(詩編23:1)
主がわたしの羊飼いだから、「何も欠けることがない。」
これは、心に満ちているものが、外にあふれた言葉です。
とにかく羊飼いの声に従って行きます。
羊飼いの声に従うことが最善のことだと、いろいろと知らされてきたからです。
「主はわたしを青草の原に休ませ、
憩いの水のほとりに伴い、
魂を生き返らせてくださる。
主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。」
(23:2~3)
おそらく、いろいろと失敗も経験し、
その度に、主の声をますます喜んで聞くように学んできたのでしょう。
だから、頭も心も弱くて、忘れやすくても、羊飼いの言葉がその心に刻まれました。
「わたしの心が恐れるのはあなたの御言葉だけです。」
「わたしの魂はあなたの定めを守り、それをどこまでも愛します。」
(詩編119:161)
そして、だからこそ「死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。」
(23:4)
主が共にいてくださることで十分です。
「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。」
これからも、いろいろなことがあるかもしれませんが、
「主の家にわたしは帰り、生涯、そこにとどまるであろう。」
(23:6)
主の家で待っているのは、「朝が来れば花を咲かせ、
やがて移ろい、夕べにはしおれ、枯れて行く」ような生涯ではありません。
(詩編90:6)
とこしえに主を喜んで、満ち足りる生涯です。
「わたしたちこそ、主をたたえよう、今も、そしてとこしえに。ハレルヤ。」
(詩編115:18)
今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、
「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。」