『主の御心の中に』
「主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう。」
(ヤコブ4:15)
聖書を読むと、「主の御心」という表現に出会います。
主は何をお考えになり、何を定めておられるのか。
主なる神の御心によらなければ、
「雀一羽といえども、地に落ちることはない」、 と教えられています。
(マタイ10:29)
あるいは、
「人の心には多くの計らいがあるが、主の御心のみが実現する」
とも教えられます。
(箴言19:21)
あらゆることが、神の御心の中にあります。
その中で、まず知る べきは、聖書に明らかにされている御心です。
確かにいろいろと将来のことが気になることもあるかもしれません。
しかし、それはしばしば隠されています。
隠されている事は、そのことが実現していくのに応じて、確かなものとなります。
そんなことについて思い煩うのも、恐れるのも、むなしいことです。
聖書はこう教えます。
「あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです。」
(ヤコブ4:14)
聖書が何よりも明らかにしようとしている御心があります。
それはイエス・キリストにおいて示された主の御心です。
「イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。
そのことによって、わたしたちは愛を知りました。」
(第一ヨハネ3:16)
「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。」
(ローマ8:35)
神の愛を知る人々は、将来を恐れることも、思い煩うこともないように導かれて行きます。
「神を愛する者たち、
つまり、御計画に従って召された者たちには、
万事が益となるように共に働くということを、
わたしたちは知っています。」
(ローマ8:28)
知るべき御心は、イエス・キリストにおいて示された神の愛です。
神の愛の中で、
「主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう。」