『二人または三人を軽んじない』
「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、
わたしもその中にいるのである。」
(マタイ18:20)
実際の信仰生活、教会生活の中で、「二人または三人が・・・」と言われた御言葉の重みを覚えます。
当教会の歩みも、この御言葉にずいぶんと励まされ、実際に支えられて参りました。
キリストは「主の主、王の王」です。
(黙示録17:14)
それにもかかわらず、二人または三人の者たちの集まりを決して軽んじることはなさいません。
このことは、人のあらゆる想像を超えています。
しばしば主の民は、自分たちの無力を覚える中で、
主がおられることを再発見しながら新たな力を得て、
歩みを重ねて参りました。
それに対して、荒れ野を旅した民は実に大勢の民でしたが、
荒れ野はその数を頼みとすることを許しませんでした。
彼らは不信仰にも「果たして、主は我々の間におられるのかどうか」と問うてしまいます。
(出エジプト17:7)
そして、どんなに民の数が増し、多くのものを得ても、その問いは続きます。
イエス・キリストがおいでになるまで、決定的な答えは与えられませんでした。
しかし、今、与えられています。
何があろうとも、主の御名に望みをかけて、
主の御名を呼び続ける「二人または三人」に、
その答えは託されています。
答えを求めて、その答えを待ち望みながら試練の中を歩む時代は終わりました。
今は、答えを得て、それを守りながら試練の中を歩みます。
「ある人たちの習慣に倣って集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう。
かの日が近づいているのをあなたがたは知っているのですから、
ますます励まし合おうではありませんか。」
(ヘブライ10:25)
「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、
わたしもその中にいるのである。」