『信仰によって得られる』
「希望の源である神が、
信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とで
あなたがたを満たし・・・てくださるように。」
(ローマ15:13)
信仰が人間から生じるものであるなら、この御言葉は信仰のための努力を勧めています。
そのようにこの御言葉を理解する人は、こう思いめぐらすでしょう。
「あらゆる喜びと平和に満たされるためには、
さらにどのような信仰の努力をしたらよいのか。」
しかし、信仰によって生きる者は、
「新たに生まれた」者であり、「死者の中から生き返らされた」者です。
(ヨハネ3:3、エフェソ2:5~6)
また、信仰は、神から与えていただくものであり、人からは生じることもできません。
「自らの力によるのではなく、神の賜物です。」
(エフェソ2:8)
信仰から信仰へと進むのも、神からの恵みです。
ペトロが、イエスを「生ける神の子、メシア」と知ったのは、
神がそのように導いてくださったからです。
(マタイ16:17)
どのようなときも主の御言葉にことごとく導かれて生きる信仰は、聖霊の恵みです。
(ヨハネ14:26)
神を信じて生きることにおいて、人はまったく無力です。
しかし、その無力な人間を「信仰によって得られる喜びと平和に満たす」ことは、神の御業です。
人間にはできません。
使徒はひたすら祈ります。
どんなことがあろうとも、
それにことごとく対応する「あらゆる喜びと平和」に満たされるように祈ります。
人はただ受けるのみです。
人の何という貧しさ・・・。
そして、神の無限の豊かさ・・・。
「希望の源である神が、
信仰によって得られる あらゆる喜びと平和とで
あなたがたを満たし・・・てくださるように。」