『神との間に平和』
「わたしたちの主イエス・キリストによって
神との間に平和を得ており・・」
(ローマ5:1)
まず、わたしたちの心とその身は、人の間にあります。
そこで、認められればうれしく、そこで侮られれば穏やかではいられません。
そこで多くのものを得たり期待できたりすれば、
希望があるように思われ、そうでなければ落胆したくなります。
しかし、信仰によって、そこがすべてではないことを知ります。
また、そこから歩み始めるべきではないことをも知ります。
人の間に生きつつも、まず神の御前を歩みます。
キリストのゆえに祈り続ける人々は、そのことを学び続けるでしょう。
祈りは届いている。神の御心の中に受け入れられている。
そのことは明瞭です。
なぜか。
その理由は一つです。
何度も、その理由を心の中で繰り返したいと思います。
「わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており・・・」
「苦難をも誇りとします」と使徒は言いました。
苦難のとき、人の間に居場所もないように思われるでしょう。
人の間を歩むことが、この上なく難しいから、苦難です。
ふつうは、誇ることなどあり得ません。
しかし、使徒の心とその身には、いつでも居場所がありました。
それは、苦難をも誇りとするほどに、心を癒して力で満たす場所です。
私たちの罪のために十字架で死に、
復活して今も、 私たちと共に生きておられるキリストを信じる者なら、
誰にでも与えられている場所です。
たいていの場合、
苦難と呼ぶには足りないようなことの数々で、わたしたちは心を乱しています。
しかし、キリストのゆえに、神の御前にいつでも自分の心とその身を置く場所があります。
そこに逃れて癒され、そこで養い強められながら、人の間を歩んで参りましょう。
「わたしたちの主イエス・キリストによって
神との間に平和を得ており、
・・・苦難をも誇りとします。」